1.旅のあと
  2.似たもの同士
  3.まだ見ぬ幸せ
  4.風物詩
  5.一方通行?
  6.恥知らず
  7.痛みに耐える
  8.無題
  9.穏便に。。
 10.中途半端な悩み
 11.共有時代
 12.共通点
 13.都会の証
 14.本番
 15.強いつながり
 16.道のり
 17.今年の贈り物



旅のあと


私の旅行から帰宅した直後の基本行動パターンは、

☆洗濯物を一気に取り出し、洗濯機をまわす。
☆旅行グッズを部屋の旅行グッズ置き場にすべて片付ける。 →スーツケースも片す
☆部屋をささっと掃除する(留守中の埃を取る程度)
☆台所・冷蔵庫の整理(現状のチェック)
☆冷茶を作る(長期留守の場合作り置きをしない為)
☆明日の朝食の準備

時差があったり遅い時間だったりで疲れていることもあるけれど、これをしないと落ち着かない。
と言うよりも、これが楽しくって好きなのだ。

私は旅行も大好きだけど、毎日の生活も大好き。
だから旅モードから日常生活モードに切り替わると、俄然楽しくなりやる気が出てくる。
「さぁ〜また明日から頑張って働くゾ〜」と思う。

以前は「疲れているんだから明日にすれば?」と言っていた主人も、最近は何も言わなくなった。
ビール片手に、乾杯相手の私がひと段落つくのをおとなしく待っている(笑)

みなぎるパワーの源には、「さぁ〜てと、次は何処へ行くかな?」も、もちろん含まれている




似たもの同士


私達夫婦は性格は全く違うのに、日常生活のあらゆる状況で同じような判断をする。
その判断の元になる基準もよく似ている。
元来持っていたものに加えて生活を共にしてきたことで出来上がった基準もあるからだと思う。

最近は呼吸も似通ってきた。
先日スーパーへ買い物に行った時のこと。
レジ係りの女の子が商品を乱暴に扱っていた。価格を読み取り別のカゴへ移す時に投げるようにしていたのだ。
2〜3回位は2人で顔を見合わせて苦笑いしていたのだけれど、なかなか改めない。軟らかい物も同様にしていた。
次に投げたら言おうと思ったら殺気を感じたのかその後は丁寧に移していた(笑)
レジを終えて袋に詰めながらお互い同じ事を同じタイミングで考えてたことに笑ってしまった。

小さな事だけど私達の生活にストレスが無いのはこんなところに理由があるような気がする。
気が合わない部分が非常に少ない。
もっとも合わない部分はとことん合わないので、お互いに触れないようにしているんだけれど。。

もとは他人、でも人生で一番長い時間を共にするのは夫婦という関係。
小さな喜びでも何倍にも大きく膨らますことができるのは、お互いの笑顔が好きな夫婦だと思う。




まだ見ぬ幸せ


私にはまだ知らない幸せがこの世にはたくさんあるんだな〜と、ふと思った。

よく友人に「いいよね○○は。旅行とか自由に行けて。」と言われる。
「家なんか子供がいるし、お金も無いし。」と続く。

確かに私は休みさえ取れれば、いつでも好きな所に行くことができる。
ハワイの青い空も、アメリカの自由な空気も、香港のおいしいお粥も、知っている。

でも私は子を持つ幸せを知らない。
子供の成長を見守る幸せも知らないし、子供が元気に幼稚園から帰ってくる幸せも知らない。

でもそれはこれからの楽しみだと思っている。
だから友人にも、長い人生今思うように過ごせなくても、これからいくらでも叶えることが出来るんだと伝えたい。
そしてそれが叶った時、その幸せを夢見ていたあの時も幸せだったとわかるのだと思う。

先にある幸せを楽しみに待てることこそが幸せだと思うから。




風物詩


乾燥する季節になった。嫌だな〜〜
寒いのは仕方がないけど、この季節は静電気が怖い。
私は元々静電気がたまる体質らしく、冬はあっちでパチッ、こっちでパチパチッ。
身に付けるものを気をつけないととんでもないことになる。
アクリルって軽くて暖かくて安いから好きなんだけど、静電気がものすごいから着る時にはそれなりの覚悟がいる(笑)
特にロングスカートなんて着た日には、足がもつれる程まとわりついてしまう。。

車から降りた時はほぼ100%最初に触ったもので放電する。
大抵はキーボックスなので、私にとっては「恐怖のキーボックス」となっている。
あ〜憂鬱。

先日会社でお付き合いしているペン○ルさんから静電気防止グッズをサンプルでいただいた。
なんでもこのグッズのゴム状の部分を当ててから触ると、静電気を防止できるそうだ。
効果あるのか??
とりあえずこの冬は、肌身離さず持ち歩いてみるつもりです。




一方通行?


HPを見てくださっている方から、よく「掲示板はつけないのですか?」とご質問をいただく。

遊びに来てくださる方と気軽にお話できる掲示板はいいな〜とは思っています。
私も数人の方の掲示板に遊びに伺っているけれども、どこもとても楽しくて勉強になることも多い。
そんな楽しい掲示板は、管理人さんの人柄によるところが大きいと思う。
皆さん非常にマメに対応されていて、書き込む方もそんな管理人さんとのお話しを楽しみにされているのがよくわかる。

一方私もそんな楽しい掲示板が運営できるかと考えると、ちょっと自信が無い。
せっかく書き込んでいただても有意義なお返事が出来ないかも知れないし、
性格がマメでない上に、気が向かないとHPをしばらくほって置くこともあるから。

そう言えば私のHPにはカウンターも無い。
以前は設置していたのですが、ある日突然カンウトしなくなって、
しばらくほって置いても直らないので(直らないって。。)、とりあえず無くしてそのまま今日に至ってる(笑)

HPを立ち上げた頃は、もっともっと研究していろんなページを作ろうと思っていたけれど、
元来のマニュアル嫌いが災いして、ほとんど進歩しないまま1年を迎えようとしてる。
という訳で、掲示板の設置はHP自体をもっとしっかり運営できるようになってから、と考えています。

こんな大雑把な私ですが、宜しかったらこれからも遊びに来てください。
またご意見やご感想などがございましたら、メールでいただけると大変嬉しいです。




恥知らず


もう10年近く前のこと。
満員電車で中学生位の小さな女の子が、必死に身体を寄せて私の背中にくっついていた。
もしや、と思い彼女の後ろに目をやると、案の定中年の男性がピッタリとくっついていた。
「痴漢だ」 とっさに状況がわかった。

彼女と身体を入れ替え男性から引き離し、男性を睨み付けるとバツが悪そうに眼を逸らした。
その反応から痴漢だと確信した。

無闇におおごとにして彼女に余計な傷を付けることは避けようと思い、
「駅員に言いますか?不安なら一緒に行きますよ」と耳元で尋ねると、
うつむいたままと小さな声で「いいです」と答えた。

次の駅に着くと彼女は電車を降りホームを走って行った。

怒りが治まらない。
思わず電車を降り痴漢に向かって「恥知らず」と罵声を浴びせた。

まだあどけない彼女の胸に深い傷が刻まれてしまったことに、胸が痛んだ。




痛みに耐える


久しぶりに長野県の田中知事のニュースが大きく報じられた。

私は作家としてのこの人は別段好きでも嫌いでもない。
知事としてのこの人の能力はわからないけれど、先の知事選では県民から圧倒的な支持を集めていた。
期待票も含まれているとは思うけれど、あんなへなちょこ議会には期待できないという裏返しのような気もする。

その田中知事が財政状況改善の為、県職員の給与をカットする方針を労組に提示した。
同時に既に10%カットしている自身の給与も30%カットへ変更するという。
これによってこの条件はすんなり受け入れられるのだろうか?ちょっと注目。

当然かも知れないが、報酬カットに対する労組の反発は凄まじい。
ここ数年は改善されたものの、以前は民間はマイナスなのに公務員は現状維持だったりアップだったりということがよくあった。
サラリーマンとしてシビアになるのはわかるけれど、
あなた方の給与は、マイナス支給となった私達が納めた税金だということをもっと重く受け止めて欲しいと常々思っていた。

ただトップの側にも大きな問題や勘違いがあると思う。
部下に我慢を求めるのならば、まず自身が示さなければならないはず。
部下のリストラや小手先の責任逃れでのうのうとしているようだったら、私だって反対運動に参加するかもしれない。

追い風に乗った勢いだけではなく、国を導くうつわを備えた指導者って日本にはなかなか現れないな。。




無題


嫌だな、と思いながらも書かずにはいられない。

これほど怒りを感じたのは何年ぶりだろう?
腹が立って腹が立って、居ても立ってもいられなかった。

誰一人望んでいないものをあえて報道するのは、誰の為なのか?
それは自分たちの為。
どんなにご立派な大義名分を掲げようと、所詮一人よがりの域を超えることはできない。

ジャーナリズムとしての永遠のジレンマとは何なのか?
そしてジャーナリズムとは何なのか?
人を欺き、人の心を弄ぶような権利や権限を持ち合わせた特別な存在なのか?

人間は何よりも、まず人間として正しいことをするべきで、
たとえ神でも踏みにじってはいけないものが存在することを、知らないとは言えないはず。

私には人間としての適性を欠いた行為だったとしか思えない。

心から軽蔑する。




穏便に。。


私は事務職なので「その他雑用」も業務の一部となります。来客時のお茶だしもそのひとつ。
社会人になった時から仕事上自分にできる事は何でも進んでやるように心掛けていたので、
嫌だとか面倒だとか思ったことはないし、特別疑問に感じることもありませんでした。

以前外資系企業で働いていた時期があったのですが、この会社は基本的に女性はお茶だしをしませんでした。
たとえ手が空いていても行わない習慣が、私にはとても不自然に感じました。
女性のお茶だしは「悪しき習慣」との認識があるようで、とにかくお茶だしに関しての女性社員の抵抗はかたくなで、
女性に限定せず、男女に関わらず、手の空いている社員がすればいいのにな、と思ったものでした。

ちょっと前、男女雇用機会均等法の改正を受けて、
一部の女性がお茶だしを含む雑用業務を「どうして女性だけ」「差別ではないか」と強く主張した時期がありましたが、
それはかえって逆差別ではないのか?と感じたのは私だけなのでしょうか??

まぁいろいろな意見があるとは思いますが、個人的な考えとしては、
社員は飲みたい人が自分でお茶を入れる、来客時には男女関わらず手の空いている人がお茶をだす、
でいいのではないかと思うのですが、いかがでしょうか?

でも古〜い感覚のOLとしては(笑)、来客時にはやはり女性がお茶をだした方が落ち着くのではないかと思うのです。




中途半端な悩み


最近衣替えの度に悩んでしまう。
毎年ワードローブを確認し、不足しているものやその年の流行ものなどを買い足すのですが、
ここ数年ピッタリくるショップに出会えなくなってしまった。

スーツやシックな洋服はそれなりにあるのですが、ちょっとカジュアルな服を探すとなかなか見つからない。
デパートでも「ヤングカジュアル」じゃ若すぎるし、かと言って「ヤングミセス」じゃ落ち着きすぎるし。。
どうも中途半端な年齢にさしかかってしまったようで、みんなどこで買い物しているんだろう??と疑問に思ってしまいます。

若作りと思われるのは嫌だし、でも必要以上に老け込むのも嫌だし。難しいな〜

最近よく見かける、ロングブーツにブーツすれすれの長さのスカートを合わせ、上着をコンパクトにまとめたスタイル。
すっきりと背が高く見えるのでいいな〜と思うのですが、あれ位の長さのスカートって微妙なんですよね、私くらいの年齢だと。
下手すると、もろ「おばさんスタイル」に成りかねない。
元々スカートはタイトばかりなので、ふわっとしたデザインだと自分自身も違和感があるという事も原因ではあるのですが。

上着とボトムの組み合わせでバランスを取ったりと工夫しながら楽しんではいるのですが、
楽しいはずのショッピングが最近は悩みの種になりつつあります。

ショッピングに行くとあれもこれもと買い込んでいた頃が懐かしいな〜




共有時代


昔は乗用車と言えば男性対象商品の代表的なものだった。
内装も装備も男性中心なので、女性には不便なことが多かったように思う。

最近では女性をターゲットにした乗用車も多く開発されていて、
カラフルでコンパクトなボディなど車両そのものや内装だけで無く、装備自体も女性にも扱いやすい物が増えているようだ。
スカートでも乗降車しやすいように座席自体が回転するものもあるらしい。
男性と女性では身体的な全てに大なり小なりの違いがあるので、両方にピッタリ適合するものを作るのは無理だとは思うけれど、
せめて車種によっては平均値を基準に設け、調整可能な部分を大きくしてくれると女性には大変ありがたいような気がする。

私が免許を取得した当時、我が家はトヨタのエスティマに乗っていた。
ルシーダやエミーナではなく初代エスティマなのでボディを含めて全てが大きかった。
運転のしやすさという意味では大きなわりには車両感覚が掴み難い訳ではなかったし、
車高が高く視界が開けているので案外運転しやすかった。

苦労した点としては、
ハッチを閉める時手がなかなか届かない上に、届いてもうんと力を込めて下げないと閉められなかったことと、
ハンドルが大きすぎて右左折時には身体ごと動かさなければならなかったこと。
更に細かいことを言えば、ハンドルの厚み(?)も私の手には大きすぎて握った時にしっかりフィットしなかった。
まぁ大型車だから仕方がないのですが。。

現在はステーションワゴンに乗っている。
ファミリーカー的で夫婦で運転することも想定されている為か、「ごつさ」が無くエスティマに比べると随分扱いやすくなった。
車両前方の感覚に慣れるまではちょっと怖かったけど(エスティマはエンジンが車体下部にあり、運転席より前方は短かったので)、
慣れてからは全く不便・不満の無いカーライフを送っている。

やや気になる点を挙げるとすれば、
クラクションが甲高く軽い音なので、危険な割り込みなどの際に抗議の気持ちが伝わり難く、気が晴れないことくらいです(笑)




共通点


会社から最寄駅に向かって歩いている時、突然斜め後ろから「すんません!!」という声がした。
「うゎ、びっくりした〜」と振り向くと、まさに「青年」といった風情の青年が、「この辺に駅ありますか?」と聞いてきた。

 私  「このまままっすぐ歩けば2分くらいで○○駅がありますよ」
青年 「それってJRですか?」
 私  「いいえ○○線ですよ」
青年 「JRに行きたいんすけど」
 私  「池袋駅なら○○駅から2駅ですよ」と言うと、「わかりました。ありがとうございました。」と携帯で電話を始めた。

この駅は2つ改札があり私がいつも利用する側は途中で細い道に入るのですが、
ちょっと前を歩いていた青年が何故かその道を入っていった。
「あれ?裏道知ってるのかな?」と思っていたら、青年は牛丼の牛○に入ろうとしているところで、私に気付くと、
「すんません。腹へってるんで、メシ食って行きます」と、これまた大きな声で何故か断わってきた(笑)
律儀な青年だな〜と、一応「ごゆっくり♪」と答えておいた。

少し歩くと今度は携帯で話している初老の外国人男性が声をかけてきた。
ものすご〜く早口で捲し立てられたので「??」だったのですが、何とか池袋駅に行きたいということだけは理解でき、
さっきの青年と同じように説明をしてあげたら、「サンキュー」と言って再び電話を掛け始めた。
行き方は教えたものの切符とか大丈夫かな〜と改札の辺りで様子伺っていると、電話で話しながら何とか自力で買っていた。
電話しながら。。器用な方(笑)

ホームで電車を待っていると、さっきの青年が電話で話しながら歩いていた。また電話してる(笑)
「青年、早〜 ちゃんと噛んで食べたのかい?」と思いながら、結局3人仲良く同じ電車で池袋へ到着できた。

威勢のいい青年と、初老の外国人男性。
一見なんの共通点も無さそう2人ですが、「電話好き」と「池袋に行きたい」ということはピタリと共通していました(笑)


余談・・・私はよく見知らぬ人から道などを尋ねられる。親切そうに見えるのか?余程暇そうに見えるのか?
     本人は前者だと信じて、期待を裏切らぬよう誠心誠意お答えしております。




都会の証


自他共に認める田舎っぺな私。
新潟で生活していた時の感覚が抜けきらないところが日常生活のあちこちにある。
そのひとつが、「マクドナルド」。

私が新潟で暮らしていた時は、近所はおろか気軽に行ける範囲にもマクドナルドは無かった。
青春時代(?)を過ごした新潟第2の都市の外れに1件あるだけ。
当時は免許など無いので行けるわけも無く、私の中でマクドナルドは大変貴重なもののように思えていた。

上京して初めて住んだ駅にもマクドナルドは無かった。
その後転居を繰り返したけれども一度として「マクドナルドのある駅」に住んだことは無い。
そのためか私の中のマクドナルド神話はますます助長していった。

その念願のマクドナルドが最近駅前にオープンした!!
今はほとんど食べないのに、なんだかと〜っても嬉しい♪
ようやく最寄駅にマクドナルドがやって来てくれたのだ。

現在日本でのマクドナルドの店舗数は3800を超えるそうなので、
冷静に考えるとたまたまマクドナルドの無い駅に住んでいただなのかも知れない。。

今では新潟の実家周辺も発展し、なんとマクドナルドのドライブスルーまである。
数は少ないけれど私が「都会のもの」と考えていたあらゆるものが、今ではほとんどある。
生活している人にとっては便利で喜ばしいこと。

でも初めてセブンイレブンができた時の、しばらく途絶えなかったレジの行列や店内の混雑が、今はとっても懐かしい。




本番


貴重な週末の2日間、まるまる寝込んでしまった。
まだ寒さに慣れないうちに突然訪れた寒波に一気にやられてしまい、
症状はそれ程重く無かったものの熱の為めまいがひどく、起きていられなかった。

いつもは体調が悪くて寝込んでいても、ごそごそと起き出してしまう。
しっかり休んで早く治すべきなのに、薬が効いて少しでも楽になると寝ているのが勿体無くなる。
天気が良ければふとんを干したり洗濯機をまわしたり、休み休みできる家事にちょこちょこと手を出してしまう。

でも今回はそんな余裕も無く、食べ物を流し込み薬を飲んでひたすら温かくしていた。
主人は仕事で2日共留守だったので、ひとりでTVを見ながら大人しく過ごした。
腰が痛くなるほどしっかり寝込んでいたお陰で、月曜日は元気に出社。とりあえず会社に迷惑をかけることは避けられた。

でも日曜日には前々から頼まれていた大切な約束があったのに、それを断わらざるを得なかった。
こんな時はすごく落ち込む。
あ〜役立たずな私。。

準備万端でも本番に弱いところは、学生時代とちっとも変わっていない。




強いつながり


他人からどんな風に見られているんだろうって、みんな気になると思う。
仕事上の評価は「査定」という形で示されるけれど、友人知人としての評価は見えてこない。

私は苦手だと思う人がいても、人には言わないようにしている。
一度口に出してしまうと、それを聞いた人の中での私のその人への評価は決まってしまうから。
でもそれは誤解や認識不足かも知れないし、いつ変わるとも限らない。

以前苦手意識を持っていた人と、仕事上のつながりがきっかけで誤解が解けたことがあった。
どうやら相手も私を誤解していて苦手だったと言う。聞くとそのイメージは実際の私とはかなりかけ離れていた(笑)
それまでも少なからず付き合いはあったのに、人の認識ってこんなに曖昧なものなんだと驚いた。

仕事上深く意見を出し合う関係になってからは、仕事以外でも本音で話せるようになった。
例え他の人からその人のよからぬ噂を聞いても、私の中の評価は全く揺るがなくなった。

強いつながりって自然とできるのでは無く、ひとつひとつ作り上げ積み上げていくものだと思う。
その過程で衝突したり誤解が生まれても、それに正面から向き合って初めて一歩が始まる。
本音を言い合えば何かしらの衝突はあるはずだし、本音も言えないようではその関係は表面的なもので終わってしまう。

私だってできれば他人とはぶつかりたくない。
でも評価を気にするあまり事なかれ主義に偏ってしまっては、誰も本当の姿は見せてはくれないだろうし、見せることもできない。




道のり


久しぶりにペットのページを更新した。
小さな頃から好きだった床の上の散歩を久しぶりに始めたピッチに、思わずカメラを向けた。

そうだったな〜この子はいつも床の上を歩いていた。そしてよく私の後を追いかけて来た。

ここ3ヶ月近く、ペットのページは開いていなかった。
そこを開くと元気だった頃のチャッピーに逢うことができる。でも今はもういない。
そう思い知るのが怖かった。

気持ちの整理はできたつもりでいた。
でも少しでもきっかけがあれば、すぐにでも泣き出してしまいそうなくらい、脆いもの。
だから毎日写真に話しかけているけれど、まだ写真をしっかりと見ることができない。

こんな気持ち、みんなどうやって乗り越えていくんだろう?




今年の贈り物


先月の日記でもちょこっと触れたのですが、10月に結婚8周年を迎えました。
毎年結婚記念日にはその記念の数にちなんだアクセサリーをプレゼントして貰っているのですが、
これが年々数が増えるごとに難しくなっております。。

今年も2人でデパート巡りなどしてみたのですが、なかなかピッタリくるものが見つからない。
数が合っていればいいってものでもないし。。
どうしようかな〜と思っていたところ、主人が某カード会社のカタログでバッチリ私好みのイヤリングを見つけてくれました。

リング型のイヤリングなのですがオプションでリングにつける石が7種類あるので、8通りの使い方があるのです。
小さく揺れるタイプのイヤリング大好きなので一目で気に入りすぐに申し込み、ようやく手元に届きました。

髪は短い方が映えるので、珍しくいそいそと美容院へ出掛けた私。
日替わりで石を変えて楽しもうっと♪

しかし、これってこじつけ以外の何ものでもないような気が。。。
来年が大変だゾ〜





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