| 1.たくさんの無駄 2.ものさし 3.伝えたいこと 4.最善 5.進み続ける 6.認めない 7.理由付け 8.応援したい気持ち 9.文字への変換 10.足元を照らす 11.霜渡り 12.ありがとう 13.おいしいこだわり 14.居心地 15.過去の偉大な人 |
| たくさんの無駄 |
転職が多い私ですが、代表電話を受ける仕事は全てに共通していました。 電話の取次ぎにも決まりがあると思うのですが、 ☆相手の会社名・氏名(時には氏名のみ)を確認 ☆取り次ぎ先の部署・個人名を確認 ☆場合によっては用件を確認 ☆取り次ぎ先の個人へ連絡し、相手の会社名・氏名を伝える これが一般的な流れでほぼどの会社でも共通と思われます。 ところが以前派遣で公官庁の代表電話の取り次ぎの仕事をしていたのですが、そこでの決まりは、 ☆取次ぎ先を確認 ⇒ その部署へ内線 ⇒ 相手が受話器を取ったら電話を切る(何も伝えない) 以上でした。 私が電話を切ると相手と繋がりますので、 私から連絡を受けた部署の電話口の人は、誰から誰宛の電話なのかわからないまま相手と話すことになります。 つまり電話をかけてきた人は再び同じことを伝えなければなりません。 これがまず時間の無駄。 2台の電話を4〜5人が交代で受けるので、1時間仕事をしては1〜2時間休憩。時間を潰すのが大変でした。 覚える事も電話操作のみ。(でもこれは覚えるというほど難しいものではない。) 各部署の内線番号は一覧表になっていて数も少ないので、1日で覚えられる程度でした。 肝心の電話もそれ程多くないのでそんなに休憩が必要な程ハードな業務内容ではありませんでした。 私としては「3人で十分なのでは?」「なぜ私がヘルプで呼ばれたのか??」という感じでした。 これが人員の無駄。 民間企業であれば真っ先に経費の無駄と指摘される状態でしたが、税金だからそんな感覚はないんでしょうね〜 これが税金の無駄。 電話交換室はガラス張りで広いオフィスが見渡せるレイアウトでしたので暇な時は眺めていたのですが 各部署に必ず一人アルバイトの女性がいて、主にお茶くみをしていました。 でも1日中お茶を出している訳ではないので、その他の時間はほとんどお喋りをして過ごしていました。 時にはお菓子をつまみながら。。。 これがさらに税金の無駄。 また来客は基本的には「お願いに上がる」人達ですから、対応する役人もまた偉そうなんです。 来客は多いのに接客場所が少ないので皆さん立って順番を待ちます。 さんざん待たせておいてもたもたと対応するので見苦しいのなんの。一応アポイント取って来ているのに。 これは権力の無駄。 退職者が出たことによる3日間の緊急ヘルプでしたが、終了後の期間延長の依頼はお断りしました。 仕事内容に対して報酬は良かったのですが、 このまま仕事を続けても何も得るものは無い、私にとっては時間の無駄になります。 ここで得たものと言えば、「あ〜あ、私達の税金はこんなたくさんの無駄で消えていっているんだな」というむなしさと、溜息のもとくらいです。 |
| ものさし |
以前旅行好きが多い職場で、次回の旅行の計画を話していた時のこと。 「何でそんな貧乏臭いホテルに泊まるの?」 私の宿泊予定のホテルを指して同僚が発した言葉です。 歴史ある古いホテルなのでランクは中クラスでしたが、高層ホテルが多い中で広い敷地に低層の建物が点在した作りが気に入り選びました。 確かに高級ではありませんが、私にはそれが逆に貴重で贅沢に思えたのです。 でも彼にはそれが理解できず、ただ古臭いホテルとしか思えなかったようです。 別の同僚の話。 彼女は一度行ったハワイで宿泊したホテルが事の他気に入ったらしく、 「ハワイって言ったら○○ホテルに泊まらなきゃ意味無いよ〜」が口癖の人でした。 それは彼女が見たハワイであって、訪れる人の数だけそれぞれのハワイがあるもの。 自分の知ることを100としてその他を認めたがらない自分の意見を押し付ける人でした。 2人に共通しているのは自分のものさしでしか物事を計れず、それ以外の価値を認めないところ。 悪い人ではないのですが、お付き合いするのはちょっとやっかいです。 必ずしも高級=贅沢ではないということを理解するのは、経験ではなく価値観や気持ちの持ち方によるところが多いのでかもしれません。 どちらにしても他人の価値観を認め、それぞれのものさしを尊重できるような余裕を持ちたいものです。 |
| 伝えたいこと |
私は怒ると喋ります。 怒りの素、その理由、それについて思っている事を全て吐き出すまでとにかく喋りまくります。 私はかなり短気なのでちょくちょく「ムカッ」とするのですが、 自分が短気であることを自覚している為めったなことでは怒らないようにしていますので、 怒る時は以前から蓄積されている相当量の怒りが一気に噴出し、すごいことになります。 聞き手は、ほぼ100%主人。(ちなみに主人が怒りの原因であることは1%にも満たないのですが。。) 私の怒りがおさまり静かになるまで、じっと黙って聞いてくれます。 ← 尊敬 しかしその後の話で私の思いとは異なる結論に導かれると、再び怒りがこみ上げてくる。 でもそこは大人(笑) もう一度しっかりと熟慮し自分の中で消化してから、じっくり主人の考えを聞き話し合います。 例え同じ結論に至らなくてもとことん話し合うことは意味のあること。 黙っていては何も進まない。今に留まっている時間は私には勿体無いように思えるのです。 言葉って大切ですよね。手紙は情緒があるしメールも便利ですが、物事を伝えるのは言葉が基本だと思うのです。 伝えられた言葉そのものだけではなく、その中にはより以上の伝言が潜んでいることもあります。 言葉は無くても分かり合える、なんていうのも素敵ですが、自分を振り返ってみるとまだまだ無理そうです。 むか〜し若かりし頃は付き合っている人と、よくぶつかりました。 お互い子供だったこともありますが、物言わずとも相手にも同じスタンスを求めることで気持ちの確認をしていたような気がします。 「あ・うん」なんてものに憧れ、理解してくれない苛立ちを逆に言葉でぶつける。 あの当時の私に言葉の大切さを教えてあげたいな〜 |
| 最善 |
間もなくダムに沈む、ひなびた温泉地に行ってきた。 「ひなびた」と言うよりも「さびれた」と言った方が実際に近いかもしれない。 ダム建設が持ち上がると、必ずと言っていい程反対運動が行われる。 そのダムは必要なものなのかも知れないし、その裏側には私には理解できない大きな力が働いているのかも知れない。 本当のところは専門家でなければわからないのかも知れないが、 こんなに素晴らしい手付かずの自然が失われるのは寂しいことだと単純に感じた。 一方でこのようなものを頑なに守り続けていたら、戦後日本はこれほど発展していなかったのではないかとも思う。 どんなに大切なものでもその時の最善のためにたくさんの涙が流されたのだと思う。 日本の発展の礎を築いた人たちは、どんな思いで今の日本を見てるだろう。 自分達が尽力してきたように、国の一層の発展を望んでいるのだろうか。 自分達が奪われたもの、そして奪ったものを少しでも守り次の世代に伝えて欲しいと願っているのだろうか。 この温泉地の宿は水没しない高台へ移転することになるのだという。 同じ魅力を感じられる同じ宿にはなり得ないとはわかっているが、完成したら私は是非足を運びたいと思う。 |
| 進み続ける |
最近下を見ることが増えたような気がする。気が付くとうつむきながら歩いている。 気持ちが重いと自然と下を見てしまうものなのでしょうか? 仕事は好きだし毎日楽しいけれど、私の場合通勤がかなり負担になっている。 前にも書いたように私は首都圏でも殺人的な混雑で有名なJR線を利用している。 始業が午前10時であるにも関わらず、その混雑ときたら半端なものではない。 車両の一番端にいた時はものすごい勢いで押され、息苦しくて目眩を起こした事もあるし、 車両の出っ張りに足を押し付けた状態で押され、ひどい痣が出来たこともある。 不自然な状態で立ち続け、普段は意識したことも無い部分が痛むことも珍しくない。 本当に事故が起きないのが不思議なくらいの毎日なのです。 毎朝この電車に乗ることが、体力的にも精神的にも大きな負担になっている。 加えてペットの病気がさらに私の気を重くしている。 ベストな治療法が見つからず、いつまでも不自由な毎日を送り続けさせてしまっている。 言葉が話せたら、理解してくれたら、どれほど楽になれるだろう。 今の状況を説明し、負担を減らすことができるのに。。 今までどんな時でも、今が一番幸せだと実感しながら生きてきた。 例え経済的に苦しくても、体調が優れなくても、いろいろな事を経験し乗り越えてきたから今があるのだし、 この時を乗り越えればさらに幸せな明日がやってくるのだと信じてきた。 その気持ちに変わりは無いけれど、今は少しだけ先の見えない明日を見ない様にうつむいてしまっている。 いつも全速力で走り、進み続けているのだから、たまには留まってみるのもいいのかも知れない。 背筋を伸ばして前向きに歩き始めることは、そんなに難しいことではないはず。 |
| 認めない |
私の卒論のテーマは「いじめについて考える」でした。 自らの実体験に基づき、小学校の教師をしている姉の協力で、小学生や教師達の生の声も盛り込んだかなりの量のレポートになりました。 両親の故郷は新潟ですが私は東京で生まれ、小学校2年生の途中まで東京で過ごしました。 友達も多く、どちらかというと率先して行動する積極的な子供でした。 新潟へ引越し2つの小学校へ通いましたが、その2つ目の小学校で約3年間私はいじめに遭いました。 暴力的ないじめではなく、主に言葉や仲間ハズレによる精神的ないじめです。 学校生活では「班」「グループ」などに別れて学習や行動することがありますが、 そのような時に私を含めた2〜3人を最後まで仲間ハズレにするなどの軽いいじめや、 (「軽い」という表現は適当ではないかもしれませんが、この程度の事は私としては「またか〜」位にしか感じなかったので。) 下校途中に待ち伏せされ追いかけられる、机や下駄箱を汚される、時には石を投げられることもありました。 辛くなかったと言えば嘘になりますが、相手にする程気にもならず、それがまた相手はしゃくに障ったのでしょう。 そんないじめの中で唯一堪えたのが、ある子の本が紛失し、なぜかそれが私の机の奥から出てきて泥棒扱いされたことです。 当時私は昼休みなどの長い休憩時間は必ず図書館へ行っていました。 とにかく本が好きだった事と、ここに居ればいじめられる事が無かったから。恐らくその隙に机に隠されたのだと思います。 当時希望者は担任の教師に日記を提出していました。 私はその中で時折いじめに関して相談していたのですが、この盗難事件の際先生は私の言い分を全く信じてくれませんでした。 私をいじめている中心人物は男子生徒も女子生徒もリーダー格で成績も良く先生のお気に入り。 結局私の汚名は晴らされず、しかし公にはされず、両親への注意で終わりました。 卒論の最終章で、当時私をいじめていた数人の男子生徒と担任だった教師に話を聞きました。 いじめた理由「転校生だったから」「みんなと一緒に。何となく」 教師「それ程いじめられているとは認識していなかった」 汚れた机。壊されてまともに座ることのできない椅子。誰の目にも明らかな日常的な仲間ハズレ。 何のための日記だったのか。 体面にのみ捕われ、子供相手でも事なかれ主義でしか接することの出来ない人間が未だに現役で教職に就いている。 忘れたくても、年月が経っても癒されない唯一の深い傷。 話の最後に時間を取ってくれたお礼と、今日確信したこの教師の本質を伝えた。 「私は貴方を教師とは認めない」と。 |
| 理由付け |
けっこう理屈っぽいところのある私。何かにつけて理由を付ける独特の癖があります。 物事に理由を見いだし、それ自体の意味や価値をより深く探り出すことが好きなようです。 口に出さなくても、この癖は日常的にちょくちょく顔を出しています。 どちらかというとポジティブな理由付けが多いのが特徴でもありますし、 使い方によってはけっこう役に立つこともありますので、特に改善する予定はありません(笑) 今私が理由付けしているのは、英会話を習いに行くか否かです。 私程度の英会話レベルでも今までの旅先では特に不便は感じませんでしたが、 今後個人旅行でヨーロッパ方面へ行く時には何の役にも立たないような気がします。 最近主人の実家で「2006年のドイツW杯へみんなで行っちゃおう計画」が持ち上がり、 年老いた両親はビジネスクラスでゆったりと行かせてあげたいと考えています。 そうなると個人手配の方が価格的に抑えることができるので添乗員代わりを務める必要も出てくるのです。 で、やっぱり今のヘボ英語じゃ無理があるな〜と感じている次第です。 以前から英会話は習いたいと思っていたので、このドイツ旅行計画がちょうど良い理由になるのは間違いないのですが。。 否の理由としては。。。 退社後の時間を利用して習おうと考えているのですが、 私はかなりの凝り性なので習い事や勉強を始めるとある程度の効果が実感できるまで夢中になってしまいます。 その間その他のことはほとんどがトホホな状態に追いやられていきますので、 今でも平日はいっぱいいっぱいなのにこれ以上となると、自分をよく知っているだけに不安が立ち込めます。 この理由付け、サボることにも上手な理由が見いだせればラクなんですが、それは元々の私の性格が許さないようで、期待薄なのです。 悩む暇があったら思い切って進んじゃうのがいつもなのですが、今はちょっと臆病風に押され気味です。 でも添乗も兼ねるということは少しは現地にも慣れておく必要があるような。。 これは近いうちにヨーロッパへ行く理由付けになるな〜 |
| 応援したい気持ち |
食品の偽装表示や無認可香料の使用。その他いろいろ。 表面に出るのは氷山の一角で、きっとその数十倍・数百倍の不誠実が存在しているんだろうな。 その証拠にひとつ表面化すると後からゴロゴロと明らかになってくる。 重大な問題が発生するとすぐに隠ぺい工作に走るのは何故なんだろう? それが公になればダメージは倍ではすまないのに。 すぐに調査・改善し、速やかに報告する。 それがあるべき姿でその体制や企業ポリシーが会社をより発展させるんじゃないだろうか。 昨日ニュース番組でセイコーエプソンの特集を見た。 10年以上も前にフロン全廃を掲げ、わずか2年で達成。その後徹底したリサイクルを行っている。 商品企画の段階でいかにリサイクルしやすくするかの検討も行われ、実際に商品に反映されている。 リサイクル専用の工場を設け社員一人一人にもその精神を植え付けている。 軌道に乗るまでは様々なロスが発生しただろうし、試行錯誤を繰り返し現在に至っているのだと思う。 きっと社員も疑心暗鬼になったこともあったんだろうな。 それでも会社を信じてついて来た。取材に答える経営陣にそれだけの力があったのだろう。 私が就職活動で重要視したのは企業規模や待遇面だけでは無く、どんな人間の下で働くことになるのか、でした。 選考が進むと希望部署の上司との面談が組まれ、私にとってはそこが会社を選ぶ最終的な場でした。 会社の理念や経営方針は判断基準として漠然としすぎていて、 新入社員の私にとっては毎日の職場で直接指示・指導してくれる人が果たしてどんな人なのか、ということの方が重要でした。 結局会社という「もの」は、その中の「ひと」が形成している訳だし、大きくなるのも「ひと」次第。 その基盤がしっかりしていなければ、壊れるのはあっという間ですからね。 私は以前からエプソンのプリンタを愛用しています。 選択理由は主に機能・価格のバランスでしたが、今後は恐らく多少の事には目をつぶってもエプソンを選択すると思います。 こういう会社には是非頑張って欲しいから。 やっぱり私も単純だなぁ。でも人間ってそんなものだと思う。 消費者のどこかに響き訴える何かを持っているものが売れるんだと思う。 それが商品そのものだったり、そのバックにある会社の理念だったり。 人の心を掴めるのはやっぱり人なんだから。 |
| 文字への変換 |
私の文章は起承転結がしっかりしていないことが多い。 文章を書くことは好きだけど、結論を導き出すことが得意では無いからだと思います。 「こうだろうか?」「いや、それともこうだろうか?」と思案しながら、そのまま記録に残す。 断片的な思いを文字に残し、時間を経てその結論を見つけ出すこともよくあります。 漠然とした思いを言葉にすることも、どちらかというと苦手です。 頭の中ではとってもたくさんの思いが駆け巡っているのに、言葉や文字にすると10分の1くらいに萎んでしまう。 そんな時はもどかしくなります。 文章についてもうひとつ。 以前住宅メーカーに勤めていた時会員向けの会報の編集をしていて、その中で編集後記を書いていました。 対象が主に主婦でしたので季節ネタなどの穏やかな短編を、原稿用紙一枚程度で同期の女性と2人で書いていました。 彼女の文章は角が無くまろやかで読み手の心に素直に入っていきます。 一方私の文章は表現がどこか硬く、とっつき難い印象でした。 会員の方とお会いする機会があり、その時一人の方に言われたのが、「あなたが○○さん?男性だとばっかり思っていたわ」 確かに私の名前は、男性でもおかしくない漢字を使ってはいるのですが。。 会報を通してのみのお付き合いでしたので皆さんの私の印象は、編集後記そのもの。 思考の方向は女性的だと思うのですが、いざそれを文字に変換する過程で男性的な要素が顔を覗かせるようです。 文章には自分でも気付かない自分の素顔が滲み出るのかも知れません。 |
| 足元を照らす |
今私は2年程前に知人が興した会社を手伝っています。まだまだ発展途上の不安定な会社。 社員数も少なく常に総手で仕事にあたっています。 任される仕事の範囲は広く責任も重い、不慣れな業務が多く片手間ではできない仕事ばかりです。 この規模の会社だと何かミスが起こると社員全員が協力し対処しなければならないので、 些細なミスでも時には取り返しのつかないミスに繋がってしまう可能性もあります。 その事はいつも、頭の「片隅」ではなく「真ん中」に置いて仕事に取り組んでいます。 仕事には前向きなものと後ろ向きなものがあると思っています。必ずしも先に明るい結果が見えてくる仕事だけではありません。 誰だって前向きな仕事に取り組みたいと思うけど、そうばかりとは限らない。 また生産性が無く、直接的にはお金にならない仕事に従事していると、時に疑問を感じる人もいるけど、 お金を稼いでくる社員のサポートをすることは結果的にプロジェクトの一端を担っているわけだから私はやり甲斐を感じています。 私は仕事はあるだけで有り難いと思っています。 不景気・失業率・リストラなどよく聞かれるけれど、本当にそんなに仕事が無いのかと言えばそうでもない。 求人誌は無くならないし、ハローワークにも情報は山ほどある。 ある程度の雇用条件で働いてきた人にとっては妥協できない線があり、その結果が今の不景気を助長させているような気がします。 お金とかプライドとか社会的な立場とか。 あっても邪魔にならないと思っているものが、実は一番自分の足を引っ張っている事もある。 自分の足元は自分だけではなく家族にも見えるはずなのに、目隠しして、取り繕って、わざわざ不必要なものを背負い込む。 私はお互いの足元がいつでも見渡せるように目隠しなんか使いません。 一人より二人。 足並みを揃えて頑張れば、お金や名誉なんかよりずっと人間として正しい幸せが掴めるはずだと思うから。 |
| 霜渡り |
私の会社は最寄駅から徒歩10分程のところにあります。 基本的には歩きますが、すご〜く暑い日や寒い日などは挫けて(笑)バスを利用することもあります。バスで3停留所ほどです。 会社の前に幼稚園から高校までが併設された学校があるのですが、 子供の足でも15分もかからないのに、幼稚園生らしき子供たちが毎日相当数利用しています。 「最近の子供は歩かないのね〜」と妙におばさんな気持ちでその姿を眺めています。 そう言えば近所の幼稚園もほとんど送迎バスを出している。 実際の距離は短くても、交通量が多く危険だから仕方ないのかな?と納得。 私が小学生の時は毎日片道1時間の道のりを通っていました。 舗装されている場所は少ない悪路で坂道も多く、今思うと大変だったな〜、と感じます。 特に冬は雪深く、涙が出るほど辛い日もありました。でも田舎ではそれが当たり前。 余程のことが無い限り送ってなんてくれませんでした。 しもやけはお友達。ほっぺはいつも真っ赤っ赤。 それでも友達と通う道のりは楽しく、いつも何かをしながら大はしゃぎしていた記憶があります。 冬は道や田んぼに積もった雪が凍り、その上を歩いて通いました。「霜渡り」と言います。 いつも遠回りだった道も、田んぼを横切って進めるのでとても新鮮で大好きでした。 子供はどんな環境でも、そこから楽しさを発見する天才です。 大人には思いもよらない世界が、子供の想像の中では息づいているのです。 それを育てるのも大人の役割。過保護なだけではそんな貴重な才能を奪ってしまうような気がします。 時代が違う。環境が違う。 それは正論だけど、田舎で子供を育てたいと「Iターン」を望む人が増えているのもよくわかるような気がします。 |
| ありがとう |
今年の3月から毎週のように通っている鳥専門の病院。 待合室は4人でいっぱいの、先生が一人で全て見てくれている小さな病院です。 鳥専門の病院というのは非常に珍しく、どこもものすごく混雑しています。 私達は混雑を避けるために平日の夜に通っていますが、それでも待合室には数人は待っています。 先生はとても丁寧に診てくれますので一人平均30分はかかりますが、 その間待合室では飼主さん同士が鳥の話に花を咲かせながらゆっくりと待っています。 実は私は病院という特殊な場所での世間話が苦手です。 場所が場所だけに皆それぞれの事情を抱えているので、何気ない一言でうっかりと傷つけてしまうのが恐いからです。 深刻な病気やケガで訪れている人もいるのですが、健康診断やちょっと食欲がないなど治療と言うよりも検査で訪れている人も多くいます。 お互いの自慢のペットを見せ合いながらちょっとした社交の場になっている時もあります。 そんな皆さんの話しを聞きながら、最近の私の頭の中は、「いいな〜 チャッピーはこんなに大変な状態なのに。。」 チャッピーはカラーを付けているので、必ず最初に「どうしたの?」と聞かれます。 いつもいつも同じ説明。なんだか自分が責められているようで辛いのです。 「大丈夫よ。鳥はけっこう強いんだから。」 「あら〜かわいそうね。でも元気そうじゃない。」 皆さんあんなに元気づけてくれていたのに、答えもせずに苦笑いしていた私。 最初は本当に傷つけてしまうのが恐かったから。 でもいつの間にか私は勝手で卑屈な気持ちに押し潰されて、コミュニケーションを拒否していました。 いつからこんな情けない事を考える恥ずかしい人間になってしまったんだろう。 症状が重いとか軽いとかじゃなくて、心配なのはみんな同じ。 みんな一生懸命育てて、だからちょっとのことでも心配で病院に通っている。 犬や猫などと比べて鳥を病院に連れて行く飼主さんはまだまだ少ないそうです。 だから小さな変化に気付き病院へ連れて行くだけでも、その鳥は恵まれているのだと、以前先生に聞きました。 最近のストレスで心にトゲができてしまった私。 そんな情けない私を目覚めさせてくれたのは、待合室のお母さん。 骨折し痛々しいコルセットをしたインコを連れたお母さん。 つい最近長年かわいがってきたインコを亡くしたお母さん。 ありがとう。 |
| おいしいこだわり |
いつも大したものを食べていない私ですが、唯一お米だけは譲れないこだわりがあります。 新潟育ちということもあり、小さな頃からお米が大好き。おかずが寂しくてもおいしいお米さえあれば何の不満もありません。 おいしいお米は人気があるのでお金を出しても手に入りにくく、 我が家は毎年新米の時期に新潟の知り合いの農家から直接玄米を買っています。 毎日炊く直前に精米し、丁寧に研いで炊き上げ、ピカピカ光を帯びた目にもおいしいご飯をいただいています。 新米に限らずどんなお米でもおいしく食べられるように、自分ででき得る限りの工夫をしています。 そんな私が東京に来て二番目に驚いたことが(一番目は満員電車なのです。。。)、レストランのご飯の不味さでした。 新潟ではどのお店でもそれりにおいしいご飯が食べられたので、とても驚きました。 お米自体の味の差だけではなく、お米の味を引出す術にかなりの差を感じました。 同じお米でも精米時期・保存方法・研ぎ方・炊き方で格段に味が変わります。 今は電気炊飯器を利用するお店がほとんどで炊き方に大差ないと思いますので、それまでの扱いに差があるように思います。 お米はできれば玄米を、精米済みの場合は袋に明記されている精米された日付を確認して、少しでも最近の日付のお米を選ぶのがコツです。 同じお米でも精米して時間が経つと味も食感も劣ります。保存方法が悪ければさらにその差は大きくなります。 効率を考える流通では大量に精米し一気にお店に卸すのが一般的なのは仕方無いとは思いますが、 「米は日本人の命」 せめて玄米を扱うお店がもっと増えるとうれしいな〜 |
| 居心地 |
・○○さん ・○○さんのお姉さん ・○○さんの奥さん ・○○ちゃんのお母さん 私達は歳とともに、立場とともに呼ばれ方が変わってくる。 そしてそれぞれの立場によって自分をちょっと変えたりして成り立っているところもあると思う。 私は現在の職場では旧姓(主人を知っている人ばかりなので)。以前の職場の友人には新姓(主人の姓)。 自宅や主人の実家では下の名前。学生時代の友人にはニックネームで呼ばれている。 時にはただの「奥さん」も混じるけど。。 呼ばれてすぐに反応できるのは旧姓と新姓。どっちも好きだし、自分に合っていると思う。 ニックネームで呼ばれるのも嫌じゃないんだけど、最近はちょっと苦しい。。歳も歳だし。。 一番ピンとこないのは下の名前で呼ばれるとき。 何しろ親にも下の名前で呼ばれたことが無いので、一瞬「だれ?」と思ってしまうくらい反応が鈍い(笑) ニックネームで呼ばれる私は少しはしゃいだりする。だって学生時代はいつもはしゃいでいたから(笑) そのせいか過去の自分に引き戻される感覚がある。 その他のときの私はほとんど同じ。旧姓でも新姓でも下の名前でも。 人生にあまり劇的な変化がないからかな〜特に人間的に。 既婚の友人はほとんどが母親になっているので、旦那さんの事を「パパ」と呼ぶ人がとても多い。 そして話の最中に自分のことを「ママも・・・・」と混ざったりする。 私が彼女達をニックネームや旧姓で呼ぶと、反応が悪かったりちょっと居心地が悪そうな感じがする。 子供や旦那さんやお友達に「ママ」と呼ばれている時が一番心地いいのかなって気がする。 なんか遠いな〜 遠くに行っちゃったぞ〜 自分だけ置いてきぼりにされたような寂しさを感じることもある。 そんな私は、実は「○○さんの奥さん」って呼ばれるときが一番居心地が良かったりする。あんまり無いけど。。 |
| 過去の偉大な人 |
私は新潟三区出身です。いわゆる田中角栄氏のお膝元。 私自身は選挙権のある年齢まではいませんでしたので実際に一票を投じたことはありませんが、 この土地で選挙期間に入ると、子供であってもプレッシャーはそれなりに感じました。 強制は一切ありませんが宣伝やお願いは子供であっても頻繁に受けましたので、政治に対しての意識も他の地域より高かったように思います。 特に支持基盤である長岡ではその傾向はより顕著で、 高校時代ちょっと軽口を叩いただけでも熱心な支持家庭の子は本気で反論を繰り広げました。 そんな環境で育ったからか、営業マンのマニュアル(「初対面で政治と野球の話はタブー」)ではありませんが、 私も政治の話は余程近しい人でなければ一切しないようにしています。 私が田中角栄氏に思うのは、あの時代の日本を引っ張った功労者であることは明らかで、 政界に限定すればこの人の力が無ければ成し得なかった事がどれだけあったか、という事。 今の政治腐敗の元凶となるものや闇の部分も持ち合わせて力を発揮してきた人でもありますので、 支持不支持は当然のことで、私は他人を説得したり同意を求めたりする気は全くありません。 ただ現在の田中真紀子問題に便乗して、 学歴だとか品性だとか、的外れな批判を繰り返しそれらを全て持ち合わせていると自負する何の役にも立っていない政治家が、 過去をああだこうだと涼しい顔で批判する姿は、下品な言い方ですが「吐き気がするほど」うんざりです。 実際新潟は繁栄しました。道路も新幹線も駅周辺も立派なものだと思います。 新潟という場所を考えると過剰な整備とは思いませんが、やはり田中角栄氏の力は大きいと今でも実感します。 私は強い支持者ではありませんが、大きな評価は与えられて然るべき政治家だと確信しています。 |