1.空虚な動力
  2.数時間前の同じ場所
  3.車内の表情
  4.あ〜楽し♪
  5.得るもの
  6.辛口教育
  7.新たな1ページ
  8.2人の7年間
  9.眼差しの先
 10.あらあらな人
 11.心配だ
 12.「日本=安全」が、壊れる日
 13.見たまま



空虚な動力


昨日は県知事選挙だった。

家は埼玉県でも一番東京寄りのためか、選挙期間中一度も候補者や選挙カーを見かけなかった。
きっとさいたま市などの大きな市では、候補者演説や応援演説も盛んだったんだろうな。
まぁ「みなさまの清き1票を〜」なんて名前を連呼するだけの選挙カーは、うるさいだけだから意味無いとも思うけど。

そんな訳で候補者に関する情報はネットで調べ投票者を決めた。
○○党公認とか友情支援とか天下り官僚とか、政策が抽象的だったり現実的な主張がなかったり、
私のように特に支持政党を持っているわけでも無くしがらみも無い人間にとっては、選ぶのも一苦労だった。

しかし投票率が35%って。。
お決まりの「誰がなっても同じだから〜」なんて言い訳の怠慢が更に蔓延しているみたいだな。
自分達で選べる有り難さ。最近しみじみ実感する。

ちなみに我が市長は、非常にクリーンで感心な人物。もう何年もHP上で1円単位の交際費を公表している。
隣接市町との合併に関しての考え方も説得力があり、個人的にはかなり支持している。

この市は小さくて特別なものは何も無いけれど、
小さいからこそ可能な臨機応変な姿勢が非常に良い方向に出ているように感じる。
8年前に引っ越してきた当時からゴミの分別が徹底していてリサイクル意識が高かったことも、気に入っている事のひとつ。

面倒でも長い目でそして地球規模で考えれば、その一手間がいずれ自分自身に返ってくる。
だから日常生活の些細な行為が次の一歩に繋がっていると実感できることが、更に人を動かしているんだと思う。

国も県も市も町も、全て自分が所属している団体。
その代表を選ぶ権利を自ら放棄できるのは、「現状に不満なし」のサインに他ならない。
ならば街頭インタビューでつらつらと語られる不平不満は、一体どこに向けられているものなのか。理解に苦しむ。




数時間前の同じ場所


昨日所用で早退し、午後3時くらいの電車で帰宅した。
こんな時間の電車はガラガラだろうな、と思っていたら、快速だからかそれなりの乗車率だった。

帰宅する高校生、外回りらしき営業マン、大声で話すおばさま集団。
まだ日が高い車内でうつらうつらしていると、いつもと同じ乗り物とは思えないくらい心地よかった。

そう言えば平日のこんな時間帯の電車に乗るなんて、いつ以来だろう?

どうせ有給休暇なんて満足に取れないんだから、暇な時は早退してこんな電車に揺られるのも悪くないな。
夏休みが決まらずイジケ気味な私は、新しい発見にそう思った。




車内の表情


9月に入ると、日常のあちこちが普段の表情に戻る。

毎日の通勤電車も通常の混雑に戻り、顔ぶれもいつものメンバーが戻ってきた。

夏休みの期間は電車内も違った雰囲気だった。
夜の車内に赤ちゃん連れの家族がいたり、通勤電車に小学生の集団がいたり。

通勤電車内では暗黙のルールというか、決まり事が存在する。
いつものメンバーは心得ているものなのだが、そうでない乗客が多い時には通用せず、戸惑う事が多かった。
でも多少混雑が穏やかだった分、ストレスは感じなかった。

今週からはいつもの表情に戻り、いい意味でも悪い意味でも(笑)安心感がある。

でもベビーカーの赤ちゃんを覗きながら出勤する朝も、素敵な時間だったな。




あ〜楽し♪


9月には入り、空からは眩しいくらいの日差しが。。
「どういうこと??」って子供達の不満が聞こえそうな青空の下、今日は東京サマーランドへ行ってきました。

自宅から約1時間で開園直後のサマーランドに到着。入園&プールのチケットを買い、早速屋外プールへ。
9月の平日、しかも開園直後はやっぱり空いてる〜

いつも通り、ゴロゴロ&ゴクゴク&チャプチャプ。
久しぶりにジリジリと照りつける日差しで、ほんのりと健康的な色になりました。

あ〜楽しかった。

スーパーモンキーフロート
ネットにぶら下がりながら、フロート状の島を渡るアトラクション

これ難しい。
ネットを掴む時に力が入り過ぎて、脇の下の筋肉が攣りそうになりました。。
アトラクションの説明にあった通り、確かにバランス感覚と体力が必要。

この手のものは子供のほうが上手い。
ネットには頼らず、するすると進む子もいました。
スライダーは5種類。もちろん全て制覇♪ スライダー大好きなのだ。

写真の白いスライダーはゴムボートを利用せず、直に寝転がって急降下するもの。
身体がすっと落ちていく感覚が恐い。でも楽しい。

滑り落ちた後身体が止まるまでの水の抵抗がかなり強く、
スポーツタイプの私の水着でも、よれました(笑)
紐系の水着は、やばいです。多分。



得るもの


私は自分が稼ぐお金よりも、主人が稼ぐお金の方が大切に感じる。

自分にも収入がある場合は、例えば10万円の物でも「まぁ、10日働けばいいや」って思って買っちゃうけれど、
自分自身に収入が無い時の10万円はもの凄く大金に感じるのだ。

以前、半年ほど仕事をしていない時期があった。
当時主人は景気の良い会社に勤めていたので収入は多く、貯金も今より多かった。
時間があるのだから旅行や習い事でもすればよかったなと今は思うけれど、何故だかお金を使う気になれなかった。
多分自分がお金を稼いでいなかったからだと思う。

これは私にもちゃんとした主婦感覚がある証拠なのでは?と思ったけれど、
逆に主人が主夫をしていた約一年間は貯金を食いつぶす生活だったにも関わらず、
やれハワイだ、グアムだ、温泉だと、やたらと遊びまわっていた(笑)ことを考えると、先を考えての節約意識というよりも、
要は自分の欲しい物ややりたい事は自分の力で実現しないと気がすまない頑固な性格を顕著に現しているだけのようだ。

今自分が手にしたこの品物は、3日働かなくては買うことができない。
そんな所から物を大切にする、物の価値を改めて考えるという感覚が構築され、経済感覚が養われていく。

働くということはたくさんのことを教えてくれる。





辛口教育


私は早い時期からアルバイトをしてきた。
中学時代両親の知り合いのお店で、日曜日に4時間だけわずかな自給でお手伝いしていたのが初めてのアルバイト。
大学受験の準備で辞めるまで約4年間働き、その間のバイト代は直接両親に渡されずっと貯金されていた。

大学入学が決まり上京する時、初めての私名義の預金通帳を渡された。
「自分で働いたお金だから、好きに使いなさい」
わずか18歳でうん十万円の大金を与えられた私だったが、
信用して預けてくれた両親に恥ずかしくない使い方をするんだと決めた。

しかしよく考えると、上京に際して貰ったお金はそれだけで(もちろん最低限の家具などは準備してもらったけれど)、
その後は月4万5千円の奨学金だけ。
コツコツと貯めたアルバイト代は生活費であっという間に底をつき、すぐにアルバイトを探す羽目になった。

これは計算づくだったのか? それとも単にうっかりだったのか??
恐らく我が子の性格を知り尽くした両親の計算だったと思われる。

我が親ながら、偉大だ。。




新たな1ページ


仕事上先行き不確定な要素を思いっきり残し、出発の日を迎えることになった。

香港は7回目という事もあるし、旅行気分に浸れる毎日でもなかったので、下調べは僅か。
でも日々怠ることなく収集に励んできたネットの情報はしっかりと頭に叩き込まれているので、
それと今週買った最新のガイドブックを握り締めて、1年ぶりの香港に向かうことにした。

いつもは航空券とホテルの手配以外はな〜んにも考えずに出発しているのに、
今回はいつに無くたくさんの「やりたい」「行きたい」が浮かんでくる。

ホテルについたらまず○○をしよう。それから重慶マンションで両替もしなきゃ。
最初の夜はA店で食事をしよう。もし気分じゃなかったらB店に変更しよう。 (気分屋らしく別案も準備・笑)
もし夜中にお腹が空いたらここが開いてる。あそこも開いてる。

この「したい・食べたい」がどのくらい実現できるかはわからないけれど、
私の中にまた新たな香港の1ページが刻まれると思うと、ワクワクが押さえきれないくらい。

初めて香港に行った時は、その喧騒や色彩に度肝を抜かれた。
2度目に香港に行った時は、返還直前の熱に圧倒されながらマカオまで足を伸ばした。
3度目に香港に行った時は、ようやく自分の足で街歩きを楽しめるようになった。
4度目に香港に行った時は、立体的な香港の横顔を垣間見ることができた。
5度目に香港に行った時は、香港の「食」に目覚め、自分の胃袋を鍛え直そうと決意を新たにした。
6度目に香港に行った時は、自分の旅のスタイルに合う新しい魅力を発見した。

7度目の今回も、やっぱり何かを発見する旅でありたい。




2人の7年間


今回の旅でもまたいろんな発見がありました。

ひとつは、成長した自分と相変わらずの自分。

最初の香港旅行で利用したホテルに泊まった為か、変化著しい香港の街でも懐かしい景色がたくさんありました。

「この前(7年前)は、ここで食事したよね」とか「ここにあったスーパーで毎日買い物したよね」と話すうち、

当時の自分を振り返る機会が生まれ、自然と今の自分と比較していました。

幾分成長した自分を見つけながらも、

困った時にはやっぱり主人に頼り切っている自分の姿が鮮明になった4日間でもありました。


右も左もわからなかった海外旅行も、今は旅の手配・プラン・情報収集・その他諸々をひとりで出来るようになりました。

でもそのプランの根底には「いつも主人が一緒だから」という絶対的な安心感があってこそ成り立っているのだと、

行く先々で実感する旅でした。


出発前主人がちょっとしたケガをしていたこともあり「気をつけてあげよう」と思いながらも、つい自分本位になってしまう私。

こんな私に愚痴ひとつ言わず、いつもニコニコと「次は何処に行くの?」と付き合ってくれる主人に、感謝、感謝です。




眼差しの先


私が右を向いた時には、左を向いていて欲しい。

私が左を向いている時でも、左を向いていて欲しい。

人間って、わがままで、欲深くて、あいまいな生き物。

だから、いつもの場所で、いつも通りの瞳を向けていて欲しい。

たとえ私がよそ見をしている時でも。




あらあらな人


今回の旅行では、「いまだに居るのね」と思うような人を往復の機内で見かけましたので、ちょっと書いてみます。

まず行きの機内で。
私達は最前列だったのでトイレ待ちの人が目の前に並んでいました。
中年の男性が連れの女性と並んでいたのですが、手には水割りの入ったコップを持ったまま。
順番が来たのか、離着陸時に乗務員が座る椅子の背もたれにコップを置こうとして、床に落としていました。
(元々水平じゃないから置けないと思うんだけど。。)
でもコップだけ拾って床に落ちている氷は足で席の下の隠す始末。水割りの臭いが充満して気分が悪くなりそうでした。

すぐに乗務員が気付いて拭き取ってくれたので良かったのですが、短いフライトでそんなに飲まなくても、と思ったシーンでした。

帰国の搭乗口で。
搭乗開始が遅れた為か搭乗が始まるとエコノミークラスの搭乗待ちは長蛇の列になっていました。
搭乗口はビジネスクラス&優先搭乗対象者とエコノミークラスの2つ。
対象外なのに何故かビジネスクラスの列に並んでいた中年男性2人組みが、
係員に「あちら(エコノミークラス)の列に並んでください」と諭されると、「なんだと、こんなに並ぶのか」と1名は大層ご立腹の様子。
納得いかないようでなかなかその場を動かない男性に、もう1人の男性が、
「先生、私が並んで順番になったら呼びますので座っていてください」となだめてようやく移動しました。

ところが順番が来てその男性が呼んでも「先生」には聞こえないらしく、
慌てた男性は後ろの人に「この場所とっておいて下さい」と頼み、急いで「先生」をお迎えに上がっていました。

例え「先生」でも、決まりごとは守りましょうね。
そしてあまり見っとも無い行動はお控えください。連れの方がかわいそうですよ。


以上、久しぶりに目にした「あらあら」な人達でした。




心配だ


最近通り魔や連れ去りなど、物騒な事件が多い。
私が住む県でも頻発しているようで、既に人事ではない。

私も暗く人通りの少ない道は通らないなど一応気を付けてはいるのだが、でも自分以上に中学生の姪っ子が心配でたまらない。
ひいき目ではなく、2人の姪っ子はと〜ってもかわいいのだ。
普段から変な人に目を付けられているんじゃないか、恐い思いをしているんじゃないかと、気になって仕方が無い。
まぁ、かわいいかどうかは別としても、特にお姉ちゃんは習い事などで帰宅が遅くなることが多いので、
物騒なニュースを聞く度に本当に心配になるのだ。

そこで先日主人の実家に遊びに行った時に、「最近物騒だから気を付けてね。心配だよ。」と言ったところ、
「私は大丈夫だよ。それより私は○○お姉さんの方が心配。」(姪っ子は私のことをお姉さんと呼ぶ)と、かわいい事を言う。


おばさんを心配してくれるなんて、なんてやさしい子なのかしら >親バカならぬ、叔母バカ(笑)

ん?心配されるということは、私は姪っ子から「ドンくさいおばさん」と思われているのだろうか?
どうでもいいような事だが、微妙に気になったりもする。。




「日本=安全」が、壊れる日


「防犯か、プライバシーか 街頭カメラ設置に対する声」

我が家に近い埼玉県のある駅周辺に、緊急通報機付き街頭防犯カメラの設置が決まったそうだ。
この駅は繁華街にあり強盗などの街頭犯罪が多発しており、
警察官の迅速な出動や状況判断を助けるシステムとして期待されている。

地元では「早く設置して欲しい」との声と同様に、プライバシーの侵害を懸念する声もあがっているらしい。
防犯目的であっても街頭カメラの設置が取り沙汰されると、必ずこの手の声があがる。
プライバシーって?
道を歩く姿を写されることに、何をそんなに警戒しているの??

犯罪そのものや警察の対応に不満を洩らしても、防犯への協力には消極的なのはどういうことなんだろう?
プライバシーの侵害とか国民の権利とか、一見耳障りの良い決り文句に振り回される人が余りにもが多すぎないだろうか?

アメリカの一部ではインプットされている指名手配犯の顔が認識可能な街頭カメラが設置され、既にその効果も報告されている。
「すごいね。やっぱり犯罪の多い国は対応も違うんだね。」なんて他人事として感心していられるのも、あとどのくらいなのやら。。

失ったものを懐かしんだって、犯罪の元凶はそう簡単には一掃出来ないのだから、
プライバシーかそれとも自分の命か。
そんな選択を迫られる日もそう遠くはないような気がする。





見たまま


先日ネットのお友達から教えて貰った、ある方のHPにお邪魔した。
そこは私のHPと同じように、旅を愛する管理人さんの旅行記のHP。
管理人さんがコラムの中で私のサイトを紹介して下さっていることを、お友達が見つけて教えてくれたのだ。
こんな拙いサイトをわざわざ紹介して下さるなんて、嬉しいな。

紹介文は「情報が新しく豊富。写真が多くわかり易い。ただし写真が凡庸なのが残念。」

写真は凡庸。その通りだ(笑)

元々写真は好きだったけれどどちらかと言うと撮って貰う方だったし、深く追求せずにいるので研究も工夫も足りないと思う。
私は実際に見ているからそんな写真でも想像力で満足できるけれど、
実際に目にした事の無い方にその魅力を伝えられるまでのものではないことはよくわかっている。

まぁプロでもないしデジカメオンリーだから単なる旅のワンシーンとして残せれば満足なんだけど、
せめてその魅力を少しでも感じてもらって実際に見てみたい、食べてみたいと心を動かして貰える位の写真が撮れたらなって思う。

「見たまま」を伝えるのって、文章でも写真でも難しいものですね。







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